御多分に洩れず、芝浜
2023年05月20日
湯島に来てそろそろ4年経ちますが、この界隈をウロウロしていていつの間にか覚えた道楽が落語です。もちろん聴くほうですよ。
ここで仕事をしているとなにかと上野方面に出掛ける機会が多くなり、バスを待つのも面倒なのでてくてく歩いて行くのですが、そうすると否が応でもちょいちょい寄席の看板を目にすることになります。女坂から天神下に出て春日通りを御徒町方面へ進んで中央通り交差点にさしかかる右手に上野広小路亭、交差点を左折して京成上野駅方面に向かう途中左手に鈴本演芸場。あるいはちょっとした散歩気分で春日通りから路地に迷い込んで見つけた黒門亭。さらに天神さん境内の参集殿でも落語会が毎月開催されている模様。もしかしたらこの界隈、まだまだ小さな寄席があちこちに隠れているんじゃないかという気さえいたします。
ともあれこれだけ日常的に視界に入ればだんだんと気になってまいります。みたところ鈴本演芸場や上野広小路亭は普段なら当日券でふらっと入りやすそうなので、「どうかな、そろそろ」と段々その気になってくるものです。しかしなにしろ「貧乏暇なし」を絵に描いたような小店ですから、半日座りに行くとなるとつい怯み、まずはいくつか音源を聴いてみることにした次第。
これまで落語に触れてこなかったわけではないのです。
十代の頃はなにしろ枝雀が一世を風靡しておりまして、テレビやラジオで聴いたその痛快な噺は今も耳に残っていますし、その所作と滑稽な表情、笑顔の断片も記憶に鮮明です。そういえば遠足のバスで枝雀の高座を見事に完コピした女の子がいて、車中は拍手喝采。もしかするとあの頃の関西の子供たちは枝雀の噺で落語の存在を知ったんじゃないかなあ…と思います。
東京に出てきてからは落語といえばもっぱら米朝さん、CDで繰り返し聴いてきました。でも正直なところ、聴いていたのは落語そのものより関西弁だったかもしれません。米朝さんの関西弁は少し古い時代のアクセントだと思うのですが、それが本当に耳に快く、なつかしく、その音によって甘やかされているような心地がしたものですから。とはいうものの、なにしろ枝雀の洗礼を受けていますからね、米朝さんの噺といえども好んで聴いた演目は断然滑稽話です。
古本屋になりたての頃、川越パルコ最上階(だったかな?)ゲームセンター脇の小さな催事場で古雑誌やら料理本やらを並べて日中一人でお帳場当番だったある日、お客が一人も来ないので暇を持て余した挙句ガラケーに録音していた米朝さんの「はてなの茶碗」をそこそこの音量で聴いていたら、音につられて老夫婦が一組ふらっと迷い込んでくれましたっけ。ひとしきり笑った後「大阪の落語なんてはじめてちゃんと聴いたわよ」と喜ばれましたが、本は売れませんでした。
ともあれ上方落語で十分間に合っていた私も、湯島~上野界隈に集中する寄席看板への好奇心には抗えません。
とりあえずまずは手近なSpotify落語百選で東京のいろんな噺家さんの高座を聴いてみると、これが意外と耳に馴染んでおもしろく、ならば、と翌日は立ち仕事のBGMとして聞き流し快調に作業を進めていたところ、思わず手を止め、スピーカーの前に座り込み、ものすごく集中して聴き込まずにはいられなかった噺に出くわしました。
それは「芝浜」、柳家さん喬さんの「芝浜」。
…そう、御多分に洩れず「芝浜」でした。
後で知ったのですが「芝浜」って古典落語の名作とされているのですって?
「芝浜」に感動して落語を聴くようになりましたって人はすごく多いんですって?
なになに、いまさら「芝浜」で感動したなんて言う奴は……、だって?
いやいやいや、めちゃめちゃいいんですって!
今日は芝浜についてガッツリ書きたくて始めたのですが、序盤なんだか無駄話が多くてすでにこんなに長くなってしまいましたので、またいつか、あらためます。