書肆つづらや

音読の愉しみ

2022年11月28日

一度くらい余裕綽々涼しい顔でJ社さんに次号の目録原稿を届けたいと思うのですが、今回も例の如く土壇場で「火事場の馬鹿力」的なものを発動する羽目となり、青くなって半徹続きで品物の調べに没頭するうち、やっとのことで残すところあとひと組となった月曜の昼下がり。「ここまでくれば約束の入稿日に間合ったも同然!」

まさにこうしたタイミングで唐突に集中の糸が切れるのが私の悪癖です。草臥れはてたアタマが「勘弁してくれ、もう一文字だって呑み込めないぞ」と音をあげてしまえば、再びピンチ到来です。そんな事態を回避すべく、最後に調べる品物には好物をとっておくようになりました。好物といったってそこはあくまで店主の趣味嗜好、決して著名で高尚な高価優品ではありません。一見すると平々凡々、それでいて眺めているうちハッとするような可笑しみの潜んでいるかろやかな一品。理屈抜きで目がよろこび、耳がよろこぶ、そういうチャーミングな品物です。

 

今回のしんがりは、幕末期に信州千曲川上流辺りの高地集落で説経祭文に親しんだ久米右衛門さんが筆写した実録本の数々。実録のみならず説経節の類も書写所蔵したこのご老人は当時「小栗堂」の号を名乗っていたようで、ひょっとすると当地で行われた寄席芸能らしきものの演者さんであったかもしれません。

ご老人が遺した大量の写本群は某日の古書業者市に現れました。

実録本については寛政頃から幕末にかけて大流行したタイトルが目立ち、それぞれの巻頭にはこれまで幾度も目にしたような本文がみられます。市場の廻し入札でこれらに出くわし「またか…」と思いながらパラリと気まぐれにページを繰った瞬間、その見開きに実録本らしからぬ符号等の書入れ(強いて言うなら語り物の本文にみられる特徴的なそれら)を見つけてハッとしました。混み合う市場で音読は憚られましたが、かわりに脳内でその箇所の音をイメージして読んでみたところ…「!」

同じ口の実録本のいくらかも注意深く眺めると、やはりどこかしらひと件の箇所に同様の書入れが施されていました。その箇所は心なしか音韻がきれいに調っておりまして、そうなれば、説経祭文写本と実録本のいずれも等しく几帳面に整った六行本に仕立てられている点も妙に気になりはじめます。「ひょっとして私は今、幕末期の一集落で大衆芸能が新しい方向に揺れ動く瞬間に立ち会っているのでは??」「いや待て、どっちが先だ??」

市場で得た小さな気付きは斯様にいくつもの空想を引き寄せ、妄想を瞬く間に膨張させます。入札はいつだって暴走する妄想との闘いなのです。あの日、限られたごく僅かな時間の中で私にとって唯一確かだったことは、少しばかりの書入れと、本文が湛える音の豊かさのみでした。頭を冷やして、まずはそこから始めなければなりません。

この写本群の荷主さんは全体を23冊前後ずつ細かく組み分けて出品なさったので、市場で入札に参加した多くの古本屋が分け合うように落札し、当店も目が合った数点を迎えることができました。

 

かくして本日、待ちかねた音読の愉しみにとうとう辿り着いたというわけです。

さてまずは糖分補給のため壺屋さんにひとっ走り。