書肆つづらや

通り抜け

2023年02月01日

日頃、急ぎの備品を買いに上野へ走るときも、甘味を求めてつる瀬さんに駆け込むときも、出かけるために地下鉄湯島駅に向かうときも、いつもあたりまえのように湯島天満宮の境内を突っ切っているのですが、ちょうど今時分になると合格祈願らしき学生さんや親御さんたちで賑わっているので、天神さんの繁忙期を邪魔するのもいかがなものかと思い、表参道の鳥居あたりで小さくお辞儀をして端っこを遠慮がちに通り抜けます。

天神下交差点や昌平橋通りに出る坂道はいくつもあるのについつい境内を通りたくなるのは、どこへ出るにも絶妙に便利な要の位置にあって四方に開き、石段(通称「女坂」「男坂」)がいずれも歩幅に馴染む塩梅に出来ていることは勿論、道すがら春は梅、秋は菊を愛で、なんならついでにちょっとしたお願いごとのために柏手を打って帰ることも出来るからです。

 

今日めずらしく男坂から帰ろうとしたとき登り口左手の看板をふと読んでみて、思わず「ですよね!」と相槌を打ちそうになりました。文京区教育委員会が平成3年に設置した金属製のその看板には、次のように書かれています。

 

『天神石坂(天神男坂)

〈前略〉 江戸時代の書物「御府内備考」によると、湯島神社(天神)参拝のための坂であったが、その後、本郷から上野広小路に抜ける通り道になったという。』

 

わかります わかります、ここはいかにも通り抜けたくなりますものね。

江戸時代に「本郷から上野広小路に抜ける」というと、寛永寺をはじめとする寺だらけの地域へお参りに向かう人たち? その界隈の門前商店をひやかしに行く人たち? はたまた下谷のお友だちの家を訪ねる人たち? それとも…?

次の目録原稿を無事入稿したら、「御府内備考」を読みながらのんびりお茶にしたいと思います。