書肆つづらや

皿を仕舞う

2023年02月15日

目に見えて日が長くなり、ご近所の梅もそろそろ咲き始めています。

個人的には真ん丸ツヤツヤつぼみ多めの枝々にポツリポツリ咲き始めたタイミングの白梅が好きなので、まさにこの時期、天気のよい昼下がりなど室内にいるとソワソワと落ち着きません。月曜日(一昨日)無事に次号目録を入稿することができて本当によかった!

 

毎度小冊で初号から一向に代わり映えしない体裁の小店古書目録ですが、気がつけば今号で55号目を数えます。

記憶する限りでは勢いでスルッと出した1号目録より翌年春に出した2号目録のほうが数倍難航し、土壇場で文字通りボロボロになってやっとの思いで入稿したところ、見かねた大先輩の本屋さんが「まあ最初のうちはそんなふうに一つ一つ手を抜かず丁寧に調べていけばいいと思うよ。10号、20号と続けていくうちに段々知識も知恵もついてきて『踊り場』のようなところで少し楽ができるようになるから」と励ましてくださいました。

ですが、ボンクラの私には踊り場なぞ未だ影も形も見えません(泣)

 

いまだに、目録入稿期日までの最後の十日間ほどは寝ても覚めてもどこで何をしていても集中を持続しないと、到底間に合いません。

頭の中で絶望的に絡まり合った糸玉から出口に通じる糸をみつけるため、目星をつけた糸を慎重に手繰り寄せては破綻し、また引き寄せては矛盾し、そういう頓挫をバカみたいに繰り返しながらも焦らず、腐らず、挫けず、動揺せず、集めたものは糸くず一片さえこぼれ落とさないよう全力で没頭します。

「まるで河童だな」といつも思います。

不慣れな陸に上がったものだから、頭上の大切な水を一滴たりとも零さないよう薄い皿を水平に庇って覚束ない足取りで立ち居ふるまう、あの河童です。

 

無事に入稿できさえすれば頭上の皿なんてサッサと洗って片付けてしまえばよいものを、どういうわけか毎回しばらく仕舞う気にはなれず、グズグズと未練がましく名残りの水を覗きこんでボンヤリと過ごしてしまいます。

とはいえ火曜がくると市場に出かけ、市場に出るとまた新しい品物に出会い、同業者と話して和み、落札品を抱えて店に帰り着く頃にはすっかりいつもどおりの日常です。まずは呆れるほど乱雑に積みあがった机上をスッキリと整頓し、埃が舞う床を掃除し、家に帰れば溜まりに溜まった洗濯をやっつけ、朝がくれば「サァ確定申告の準備を一気に片付けてしまうぞ!」といった具合に。

 

往々にしてこんなふうに皿を仕舞ったあと、あの町あの村のあの人この人がふと脳裏を過り、その筆跡のたしかな記憶とともに、たよりなくとりとめのない感慨と新しい疑問が胸中にうち寄せ、堆積していきます。今回もきっとそろそろ来るだろうなあ…