書肆つづらや

塩と石炭、木綿と魚

2023年02月24日

目録の版下データを入稿してから印刷が上がって来るまでの数日間は、事務的業務に勤しむ時以外は頭をスッキリ空っぽにしてのんびり過ごせる、いわば余白の時間です。そんな「余白」満喫中の先日、この十年来たいへんお世話になっているお客様の仕事場を久しぶりに訪ねる機会に恵まれました。

 

以前おうかがいしたのは新型コロナウィルス流行直前の2019年1月でしたから、対面でお話しできたのは実に3年ぶりということになります。とはいえ、その間も電話でお話しする機会はありましたし、定期的に紀要にお書きになるものもたのしみに拝読していたこともあってか、さしたるブランクを感じないまま、通い慣れた乗り継ぎで長閑な車窓を眺めながら最寄り駅へと向かいました。

ところがいざ改札を出てみると、再開発を控えた駅前ビルの窓々が思いのほか寂しい景色になっていて、ここでようやく3年の時の流れを実感した次第。商店街を抜けて住宅街をまっすぐに進むうち、どういうわけか唐突に、目録品を抱えてこの道を往復し始めたばかりの頃の不安な心持ちがくっきりと思い出されてまいりました。

 

ご挨拶もそこそこに持参した写本を机上に延べると、ページを繰るお客様から関連史料の話題がとめどなく溢れ出します。史料と史料の関係を活き活きと語られるところは依然と少しもお変わりないのですが、そのお話しぶりたるや、どう考えても私が記憶するところより数倍パワフルで、高速で飛翔する話の流れについていくのが精一杯、カバンからノートを取り出す余裕もないほどでした。

「たとえば塩のことなら石炭の文書も見るじゃないですか、」

そしたら、と話が進みかけるところを大慌てで遮り「石炭ですか?」と尋ねると、「煮詰めて結晶化させる製造工程で、江戸時代も後期になると燃料が木じゃとても間に合わなくなるんですよ。だから石炭産地の文書には塩の文脈も含まれていることがあります。ほら木綿なら干鰯のことがあったでしょ、塩なら石炭、ほかにもいろいろありますよ、つづらやさん」

お話は万事こんな調子で、いろいろな史料が際限なく繋がり広がるほどに、私の頭上に出現した幻の景色は遠く、深く、ますます広く拡張していき、ほどなくその全貌がまるで巨大で精巧な機械のように重くゆるやかに動き始ると、もはやどこをどう掴まえればよいのかさえわからなくなり、完全にお手上げです。

 

…そうでした。

以前もここに来るたびに、私はこういう精巧で大きな風景に翻弄されてクラクラしておりました。

その頃は、このお客様のほかもうお一人同僚の先生が必ず同席されたのですが、そういえば、そもそもその先生から史料の取り扱い方、史料との向き合い方について手厳しく叱責されたことをきっかけに、以後ああして度々お邪魔することになったのでした。目録に載せたばかりの品物をいくつか抱えてここに来て、その史料をまん中におふたりが繰り広げる尽きない話をどうにか余さずまるごと持って帰りたくて、せっせとメモを採ったものでしたっけ…

そうだ、あの頃のノートを今もう一度見てみようと思いながら帰路に就きました。

 

さて後日、当時のノートの山を引っ張り出して確認すると、いずれも脈絡のない単語が右へ左へ散らし書きしてあるばかりでサッパリ意味がわからず、暗号じゃないんだからと苦笑。しかしふと思い立ち、それぞれの時期に出した目録の内容と照らし合わせて眺めてみると、あら不思議、びっくりするほどスルリスルリと思い出されて、少々感動してしまいました。

暗号、捨てたもんじゃありません。

 

ちなみに今回のメモは、一冊の書名のほかに辛うじて読めるのは「塩と石炭 木綿と魚」となぐり書きした一行のみ。

これは、いまだかつてなくへたくそな暗号だなあ!