書肆つづらや

困っても困窮する気はさらさらない?

2023年01月23日

諸藩当局がからんだ江戸末期の金融証文に出くわすと、不運にもこれまで「なんだかなあ…」とため息つくようなものをたくさん見て来たせいで、つい「ひょっとしてまた搾取?」と身構えてしまうのですが、今回はなんだか様子が違います。

嘉永711月に彦根と長浜の町人たちが領主井伊家に借金を申し込んだ際の願書や与信証文が合せて数十通、いまここにありまして、夕方「明日のためにザっと目を通しておこう」と手に取ったところ、どんどん楽しくなってきて止め時を見失ってしまいました。

あ、いえ、さすがに「たのしい」なんて言い草は、お困りごとのためにこの証文を書いた方たちに失礼ですね。

 

…とはいえ、なんといいますか、

たとえばこれまで小店にやって来たどんな文書群にもたいていなんらかの借金証文が含まれていたように記憶しているのですが、それら一々を開いて確認していく時には自然と「不躾でごめんなさい…」という気分になるものです。ところが、今回の借金文書たちに対してはそういう気まずさをまるっきり感じません。それどころか、ズラリと居並ぶ債務者たち(過半は家持とはいえ小商いの人たちであったと思われます)がてんでに放つ隠しきれない躍動感がビシビシと伝わってきて、面喰らっております。

さてこれはいったい…?

 

嘉永7年といえば6月に伊賀上野地震、11月には南海地震と大きな地震が続き江州一帯にも大きな被害があったはずで、なるほど願書の中で居宅半壊を訴える文言が多数みられますが、実際のところ多くの債務者がこの好機(=貸付実施)に期していたのは生活の立て直しというよりも商いの資金補強であったようで、半壊した居宅を抵当に15年賦でそれなりのスケールの金額を堂々申請しています。

そうか…、そりゃそうでしょうとも、だって彼ら彼女らは商人ですものね。

借金証文を前にして言うことじゃない気もしますが、なんだか妙に清々しい。

 

見始めはてっきり藩による災害後の救援貸付かと思いましたが、文言をよく見ていくと、どうやら彦根藩による町方への貸付は以前から継続的に実施運営されていたらしいです。そうなると俄然井伊家がその元手銀をどう捻出していたのか、そしてどれほどの利益を得ていたのかが気になってきますが、残念ながら手元の文書だけではわかりません。

 

ところで、嘉永7年から15年賦ということは完済期日が維新後ということになりますが、みなさんはご無事だったのでしょうか?

なんだかとても気になります。