遠くの太鼓と百川と
2023年05月13日
近頃なにかとたてこんで延び延びになっていた出品物(本)を、本日やっと神田小川町の古書会館に搬入する都合がつきました。
段ボール2、3箱のことだからカートに積んで運んじゃえ。のんびりお昼前に出て、雨の予報が当たりそうなら参道でタクシーを拾えばいいか。帰りは、そうだ、通り道だし神田明神の境内を覗いてこよう。なにせ今週は神田祭、明日はお神輿が出るものね…
のんきにそんなことを考えながら朝の仕度を調えていると、ラジオから「神田周辺は交通規制…」
あれ、お神輿は明日でしょ? と怪訝に思ってテレビをつけるとタイミングよく神田明神境内からの中継映像で、なんでも午前7時45分に始まる発輦祭のあと境内に待機中の鳳輦と山車が神田の町を大行列…とかなんとか。
え…そういうのがあるの?
ニュースによるとどうやら本日5月13日土曜日は「神幸祭」なるものが執り行われるらしく、それがいったいどういうものなのか、まもなく出立するという「大行列」がどういうルートを通るのか、沿道はどれほど混雑するものなのか、そういうことの一切合切皆目見当つかないけれど、ひとつだけ私にもわかることは、神田明神を出て神田方面に向かう行列と湯島の店を出て古書会館に向かう私の行程が微妙に重なり合っているってこと。唐突に脳裏をよぎる映画「天井桟敷の人々」のラストシーン。
いやいやいや、行列のルートはもう一本東の大通りでしょう?
とはいえ不安なので弁当も洗濯も投げ出して家を飛び出し、慌てて店に駆けつけました。
恥ずかしながら神田祭については不案内です。
今は私も「東京の古本屋」の端くれですが、実のところ育ちは西、根っからの地方出身者なものですから、たとえば神田界隈で育った人たちのように体内カレンダーに「祭」が刻印されているわけではありません。毎年この時期が近づくと目に見えてウキウキしはじめる神田老舗の本屋さんたちを遠巻きに眺めて「祭」の季節到来を知り、品川区にいたころなんて開催期間中むしろ神田界隈を極力回避して過ごしてきました。(だって交通規制がね…)
そんな私にとって唯一、神田祭のお神輿や行列のルートに関して身に覚えのある記憶といえば、数ヶ月前に扱った文政十三年の園部藩江戸屋敷在府藩士手控帳(在庫既になし)で、その記事の中で家臣らが屋敷前の御祭禮用設えからお神輿一行を見送った方向が思いのほか日頃私がよく知る道と重なったことが強く印象に残っています。たとえばもし現代の「大行列」なるものも文政期ルートをなぞって行ったり来たりするのならば、本日おそらく湯島~御茶ノ水~神田~大手町界隈でタクシーなんてつかまるわけないですよね? だって私がタクシー運転手なら今日はこの界隈を流さないもの。
雨が降り始める前に明神脇を突破しなくちゃ!
そういうわけで急転直下予定変更、店に着くなり入口に積みっぱなしだった箱を大急ぎでカートに結わえつけ、午前8時過ぎに店を飛び出しました。吹く風にはすでに迫りくる雨雲の匂いが混じっていたので気が気じゃなく、ともかく雨が来る前に、そして行列とか群衆とかにのみ込まれる前に神田明神脇を通り過ぎねば!と、御茶ノ水聖橋までの一本道をカートを引いて一目散に駆け出しました。なにしろ湯島から神田小川町にかけては上ったり下ったり坂道続きですからね、おそらく走っている最中は我ながらちょっと人様にお見せできない形相だったと思われます。誰にも会わなくて本当にヨカッタ…
結局、行列に出くわすことも雨に降られることもなく、拍子抜けするほど人通りの少ない朝の道を駆け抜けて無事に会館に到着し、荷物を下ろしホッとしているところに靖国通り沿いのGK堂さんがいらしたので「今日はお祭りで…」と挨拶すると、「そう!タイヘンなんだよー、これから法被に着替えて行かなきゃ」と満面の笑みで実に嬉しそうにおっしゃる。
会館を出て御茶ノ水へ向かう道すがら、首からカメラをぶら下げて互いに挨拶を交わす「カメラおじさん」ご一行と行き合いました。小耳に挿んだ会話から、彼等はどうやら祭の街角で年に何度か出会う同好の顔見知りといった風情。このときちょうど雨が降り始めたのですが、そんなの全然おかまいなしで、みなさんまるで夏休みの小学生みたいにニッコニコ。太鼓の音ははるか遠く、おじさんたちは連れ立ってソワソワと大通りのほうへ歩いていきました。
そんなこんなで雨の中まっすぐ店に帰り着き、お茶を淹れやれやれと腰を下ろして気まぐれにSpotifyの落語プレイリストをスピーカー出力すると、流れて来たのはなんと柳家さん喬さんの「百川」。全曲通すと24時間以上ある長大なリストからランダムでよくこのタイムリーな噺が初っ端に出て来たなあ。トンチンカンな朝でしたが、おかげさまでご祭礼のお相伴にあずかったようなひとときでした。